第3章 / 第2節 中期作品『ソラニン』

浅野いにお中期作品の核に存在する『ソラニン』。ソラニンのメッセージを読み解くヒントになるのが、タイトルにもある「ソラニン」である。

ジャガイモを放っておくと芽が出てきてしまう(中略)ジャガイモの芽の部分は食べないほうがいいといわれている。芽は「ソラニン」という有毒物質を含んでいるためだ。ソラニンはめまいや嘔吐などの中毒症状を起こし、わずか400ミリグラムが致死量というからバカにできない(※38)

ソラニンとは、ジャガイモから生えてくる芽に含まれる有毒物質である。それはつまり、本来はジャガイモを調理することで美味しく食すことが出来るが、何もせずに置いておくことで毒素を持ち、食べることが出来なくなるという、再生/腐敗の二項対立の図式を、そして生/死のイメージを内包している。これは作品全体の根幹にある考え方である。また、物語に登場する、種田がギターボーカルを務めるバンドの曲、「ソラニン」の歌詞(資料8 引用1参照)と種田・芽衣子による歌詞の認識のされ方の違いからもこの二項対立を抽出することができる。

▼ 資8 引用1. 「ソラニン」の歌詞

思い違いは空のかなた
さよならだけの人生か
ほんの少しの未来は見えたのに
さよならなんだ

あの時こうしてれば あの日に戻れれば
あの頃の僕にはもう 戻れないよ

昔 住んでた小さな部屋は 今は他人が住んでんだ
君に言われたひどい言葉も 無駄な気がした毎日も

寒い冬の冷えた缶コーヒーと
虹色の長いマフラーと
小走りで路地裏を抜けて
思い出してみる

あの時こうしてれば あの日に戻れれば
あの頃の僕にはもう 戻れないよ

たとえば ゆるい幸せが だらっと続いたとする
きっと悪い種が芽を出して
もう さよならなんだ

あの時こうしてれば あの日に戻れれば
あの頃の僕にはもう 戻れないよ

さよなら それもいいさ
どこかで元気でやれよ
僕もどーにかやるさ
そうするよ

ソラニンは、真剣に取り組むことで後戻り出来なくなる恐怖と、人から良くも悪くも評価されることを拒み続け、フリーター生活というぬるま湯に浸りきった種田が、今までのだらだらとした自分と、そんな時の流れに逆らって、バンドで食っていくという夢に向かって覚悟を決めたときに作詞した曲である。それは、本気で取り組むこと、変化をすることを拒んだ状態からの前進であり、昔の自分とは別れ、新しい自分へと進んでいくことを決意した曲であった。

一方、社会や大人に対しての不平不満という毒素が体にたまっていき会社を辞め、そのまま変化を拒み続け、無職の生活をだらだらと続けていた芽衣子にとって、ソラニンとは、種田から芽衣子に向けて書かれた別れの曲であった。それは、芽衣子と種田のちょっとした心のズレが重なり、もう元には戻れない関係になったことを感じ取り苦しんでいたからこその認識である。

今までの浅野いにお漫画はここで終わることが多い。丁度この話は、全2巻の作品の半分、1巻の終わりまでの話である、しかし、中期の浅野いにおは、前期を踏まえた上でさらに一歩先まで描いていく。それは、浅野いにお漫画をリアルタイムで読み続けてきた精神科医の名越の分析からも分かる。

再生を拒絶して腐ることもできないし、腐敗して土に戻ることもできないし、種が芽を出すこともできないような終わり方が今まで多かったわけですが、この作品ははっきりと再生を打ち出していますね(※39)

『ソラニン』2巻では、種田の死と、そこから仲間の助けによって立ち直って行く芽衣子の姿を、ボリュームたっぷりに描いている。種田の死を受け止め、種田が存在したことを証明するため、芽衣子は種田の代わりにバンドを始める。過去の自分とは別れ、新しい自分の人生を歩み始めた芽衣子は、「恋人の別れの曲だと思っていたけど、過去の自分との別れの曲なのかな。・・・そんなふうに思えてきて」と、ソラニンの本当の意味に気付いていく。

ここで再びジャガイモの話に戻る。放っておいて毒がたまってしまったジャガイモの末路はどうなるのだろうか。

芽が伸びて食べられなくなってしまったジャガイモは、プランターにでも埋めておけば、さらに芽を出してくる。ジャガイモは栽培しやすいので、芽が出たイモを育てれば、家庭でも簡単に掘り立ての新ジャガを楽しむことができるのだ(※40)

つまり、放置して腐敗したジャガイモは、再び土に植えることで、新たな芽となり、再び食すことが出来る。まさに、芽衣子のことを言っていることが分かるだろう。変化を拒み、腐敗した先に、新たな変化を見つけ再生していく。つまり、浅野いにおは作品全体において「ソラニン」というジャガイモの毒素を巧みに活用し物語世界を構成することで、私たち読者にメッセージを伝えている。

それは、変化/静止の二項対立であり、再生/腐敗の二項対立でもある。変化を拒み生きているだけでは、どんどんダメになってしまう。常に選択を繰り返し、変わり続けていく。それこそが再生の手段であり、生きるということだというメッセージ。それは、前期の浅野いにおが掲げた「絶望=希望」という考え方の先にある生き方を伝えている。

脚注

※38 稲垣栄洋(2005)『身近な野菜のなるほど観察記』草思社 p185
※39 吉田大助(2010)「永遠の浅野いにお」『ダ・ヴィンチ』No.193:p20
※40 稲垣栄洋(2005)『身近な野菜のなるほど観察記』草思社 p186

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