第2章 / 第3節 / 第1項 売れない漫画家『素晴らしい世界』

『素晴らしい世界』は2002年-2004年『月刊サンデーGX』にて掲載された短編をまとめた、浅野いにお初めての単行本化作品。前の短編と次の短編がかすかにリンクする全19話収録の連作シリーズであり、発売後からじりじりと人気を集め10万部を突破した。登場人物は、夢と現実の間で煩悶するバンドマン、いじめられっ子にいじめっ子、フリーターの同棲カップル、35 歳・妻子に逃げられた売れないマンガ家、2浪目突入の予備校生といった面々。心のどこかに不安や不満を抱え、生きることにも死ぬことにも熱心に見えない、よく言えばナイーブで悪く言えば「ヘタレ」な彼らの日常と、そこに起きた転機をリアルに描いている。皮肉と希望の入り交じったタイトルどおり、「ろくでもない世界だけど、ここで生きていくのも悪くない」と思わせる作品になっている。

その中から、浅野いにおの分身とも言える漫画家が登場する、「6th program サンデー・ピープル」を取り上げる。わずか8ページの短編の主人公は、35歳の売れない漫画家(下記資料5 図1参照)。黒縁メガネに汚いヒゲ、髪の後退し始めた冴えない中年が、中学校の同窓会に誘われるところからスタートする。35歳にもなって売れない漫画家をやってる自分と、社会でバリバリと働いている同級生の間にギャップを感じ、出席しないことに決める。しかし、元妻と子ども(下記資料5 図2参照)に会いに行き、子どもの成長した姿に勇気付けられ、同窓会への参加を決める、というなんとも日常的な話である。

▼ 資料5 図1. 主人公のビジュアル

▼ 資料5 図2. 元妻・子どものビジュアル

この当時の浅野いにおの年齢は23歳であり、作中の主人公とは一回り年齢が違っている。見た目も浅野いにお(下記資料5 図3参照)と黒縁メガネやヒゲなどの類似点はあるものの、服装や輪郭等、全体の雰囲気としては異なっている。しかし、主人公の仕事場のデスク前の壁に貼ってある「死ぬまで生きる」と書かれた紙は、浅野いにお自身の心の底から出てきた言葉である。浅野いにおは、生まれつき漏斗胸という、胸の骨が変形し、鳩胸とは逆に胸がへこんでいる病気を患っている。もちろん今は大丈夫だが、子どもの頃は胸のへこみが原因で死ぬのではないかと悩んでいたという。そんな悩みがあったからこそ、今を真面目に生きるということを真剣に考えていた。それは漫画に対しても当てはまる。

▼ 資料5 図3. 浅野いにおのビジュアル

早く死んじゃうんでないかっていう思いにずーっととらわれて生きてきた、だからこそ10代の時からかなり切迫した感じでマンガを頑張れたんだと思う(※31)

そんな浅野いにおの生き方から生まれたのが、この「死ぬまで生きる」という言葉である。たとえ35歳になっても売れない漫画家であったとしても、死ぬまで本気で描き続けるという意思表示だといえる。

つまり、『素晴らしい世界』において、浅野いにおは自分の将来の姿を描き、未来の地点でも、自分は売れない漫画家であると皮肉にも暗示している。しかし、それでも、死ぬまで描き続けるという前向きな強い想いが、物語世界の漫画家への感情移入を生み出している。

脚注

※31 吉田大助(2010)「永遠の浅野いにお」『ダ・ヴィンチ』No.193:p27

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